気ままにツーリングとモトブログ【I LOVE CB750F】

オーナーとなり39年目の愛車のCB750F。ついに還暦になった「ちゃれさん」がこのCB-Fを使って10数年後に最年長モトブロガーを目指す日記です(笑)

もし、CB-Fがロングセラーだったら物語⑱「巨星、逝く・・・」

CB750F V-TECバージョンが白バイの次期車両になることが決定した。
現物あわせの急ごしらえだったテスト車をベースに、市販車用にモデファイされたV-TECは
翌年の1991年の4月に販売開始が決定する。
これによって、CB-Fシリーズは、CB750Fボル3とtypeR、そしてV-TECバージョンの3機種になる。
片山氏がこれぞ、ジャパニーズスタンダードと呼んだV-TECバージョンをベーシックモデルと
位置付けし、従来のボル3は生産終了とされることも決まった。
これに伴い、V-TECバージョンは自動的にボルドール4と呼ばれるようになる。

1991年4月の販売開始と同時に警視庁および各県県警にも納入され、
各地のローリング族が集まる峠では、走り屋の乗るtypeRをボル4の白バイが追うという
CB vs CBという珍現象が生まれた。

この珍現象が起こりはじめたころ、本田技研の総帥、本田宗一郎氏は体調の不良を理由に
出社する機会が減り始めた・・・。
研究所内では、最近オヤジさん見ないな・・・とは誰もが思っていたのだが、
高齢であることや、これまでのCBに関わって来た数年の苦労もあるだろうと、
ゆっくりと休んでもらえばよい・・・と思っていた。
しかし、事態はそうではなかった・・・。
カリスマとして、いつまでもホンダのシンボルとして自分達を影から支えてもらえると思っていた・・・
しかし、いかに元気なオヤジさんとは言え、年や病魔には勝てなかったのだ・・・・・
あの、スパナを振りかざしてまであきらめない不屈の精神の持ち主であっても・・・。
1991年8月5日・・・・本田宗一郎氏、天に召される・・・。

研究所では、いきなりの訃報に・・・衝撃が走った・・・。
「うそだろ?」誰もがオヤジさんの逝去の知らせを信じられなかった・・。
そう・・・今すぐにでも「どんな、あんばいだ?」と言って試作室に入ってきそうな気がするのである。

しかし、これはどうしようもない現実なのだ・・・。
CB750Fは、オヤジさんが最後にかかわり、魂の全てを注ぎ込んだ遺作となった・・。
その遺作の開発にあたって、ホンダスピリットまでを研究所員たちにもう一度注ぎ込んだ・・・。
佐藤は、研究所の片隅で号泣した・・・「オヤジさん、ほんとうにありがとうございました・・・」
そして、このCB750Fを、必ず守り続ける決意を全員で固めるのである・・・。

しかし、1991年は皮肉にも、規制緩和により国内において750ccを超える車両の販売が
解禁された。今まで逆輸入によってしか買えなかったリッターバイク達が、
国内のマーケットに溢れ始める・・・。
その数百ccの差は、いかに高性能化したCB-Fにとって致命的とも言えた・・・。
販売サイドからは、そろそろリッターバイクの復活を望む声があがり始めたのである。

つづく・・・。