気ままにツーリングとモトブログ【I LOVE CB750F】

オーナーとなり39年目の愛車のCB750F。ついに還暦になった「ちゃれさん」がこのCB-Fを使って10数年後に最年長モトブロガーを目指す日記です(笑)

もし、CB-Fがロングセラーだったら物語⑳「CB-Fよ、永遠なれ」

21世紀を迎え、オヤジさんの発想、V-TECは4輪にも取り入れられる。
ハイパワーな自然吸気エンジンと、エコノミーなエンジン・・・etc。
V-TECは、いろんな可能性を生み出した。
そして、4輪部門もSUV等が好調に売れ、経営危機の難関は脱出した。
・・となると、世間がホンダに求めるのはモータースポーツへの復帰である。
ファンの期待に答えるかのごとく、4輪ではF1に復帰。
そして、GP500から、4stのMOTOGPに変わるタイミングで2輪もGPに復帰する。
復帰ばかりか、1年目にして投入したRC211Vが天才B・ロッシのライディングよって
あっさりとタイトルを奪ってしまう。
ここにホンダの底力を見せ付けた感がある・・・CB-Fの延命策によって培った技術が
一気に開花したかのようであった・・。

2004年、数年前に立ち上げたプロジェクト「BIG1」の、新型車チームも
やっと納得のいくCBの後継車の開発にメドをつけた・・。
排気量は1300cc、水冷、インジェクション・・・。
そして、かつての伝説となったCB1100Rのカラーリングを復活させ、ミニカウルを装着。
そしてネーミングもスーパーボルドールを称されることとなった。

ここに来て、25年間販売されたCB750Fシリーズの役目が終わりを告げたことを意味する。
ホンダの社員のみならず、ホンダファンにとっても思わぬロングセラーとなったCB-Fシリーズには
格別の思いがあった・・・。
オヤジさんの遺作という重み、そしてCB-Fによって育ったライダー達・・・
親子2代でそれぞれ共有するCB-Fの若かりし頃の思い出などなど・・・。
それはそうだ!1979年にCB750Fが世に出たとき生まれた子供が25歳になっているのだから・・・。

ホンダ本社では、青山本社ビルでCB1300スーパーボルドールの発表と同時に
CB750Fの引退セレモニーと最後のアニバーサリーモデルとして限定50台の
本田宗一郎のサインがタンクに入ったスペンサーカラーモデルの予約受付を催すことになった。

CB750Fの引退式の日・・・2004年8月5日。
オヤジさんの命日である・・。オヤジさんの葬儀は
本人の「派手な葬儀はするな」との遺言により親族だけでしめやかな葬儀だったらしいが、
CB-Fの引退セレモニーには、大勢の人たちが集まった・・・。
山中勲氏・・佐藤氏・・・片山敬済氏もいる・・・。
いつも間にか出来上がったオーナーズクラブの面々も、日本各地から集まった・・・。
その会場には1979年のCB750FZから最後のアニバーサリーモデルまで、全てのCB750Fが並べられていた。
そして、その背景には満面の笑顔の本田宗一郎氏の大きな写真がパネルとなって置かれていた。

その会場内に取材に来ていたライダーズクラブの根本健氏は、
CB750FZの側で、感慨深げに立っている山中氏、佐藤氏の両名を見つけると、近寄り、
「長い間、お疲れさまでした・・・25年前のバイクがここまで第1線で活躍しながらロングセラーとは、
ホンダの本気を見たような気がします・・・」と労をねぎらう。

すると、山中氏は「ホンダの本気?そうですかね~?」と笑う・・・。

「ん?」と根本氏は思う・・・。

そのとき、頭の中で声が聞こえた・・・・。
なつかしい本田宗一郎の声である・・・。
「本気ってのは、まだまだだよ・・・まん丸いピストンしか使わなかったしなぁ~わっはっは・・」

根本氏が、はっとして見上げたそのとき、
パネルの中のオヤジさんの顔がニヤ~リと笑ったように見えた。

<完>