気ままにツーリングとモトブログ【I LOVE CB750F】

オーナーとなり39年目の愛車のCB750F。ついに還暦になった「ちゃれさん」がこのCB-Fを使って10数年後に最年長モトブロガーを目指す日記です(笑)

もし、CB-Fがロングセラーだったら物語①「オヤジが帰ってきた!」

あくまでフィクションです。

1969年にCB750Fourが発売され、第1世代の空冷4発が世に出た。
そして、1979年にCB750Fが発売、第2世代の空冷4発はDOHC化され、
一世風靡した。
ホンダは、次期主力エンジンとして、V4型と空冷4発の同時開発を始めた。
(実際には、VF750FちょCBX750Fとなった・・・がココでは、そうはいかない・・ふふっ)
・・・が、日本を襲った大地震によって、ホンダ4輪部門の工場は壊滅。
おまけに、アメリカで第2のマスキー法のごとく、日本車を排除する動きが再燃。
企業としての存続すら危ぶまれ、
ホンダはスペンサーがタイトルを取った83年以降のGPレースからも撤退。
全社を挙げて4輪部門の復活に、企業生命をかけた・・。
・・と同時に、2輪部門の縮小がやむえず、開発中のV4も時期空冷4発もお蔵入りとなる。
したがって、CB750Fおよび、それに使用したRC01Eを今後10年はホンダの2輪車の
フラッグシップとして、使用せざるを得ない状況になってしまった。

4輪部門の復活には、引退していた藤沢武夫氏が現役復帰して先導にあたった。
そして、2輪部門には、なんと!あの本田宗一郎氏が帰ってきた。
実は、それには理由があった・・・。
60年代のF1参加の折に、空冷を主張した本田宗一郎氏だったが、実際には
空冷エンジンは結果が出せず、主張が通らなかった。
しかし、オヤジさんの頭の中には、
「水冷だって最後は空気で冷やすんだから・・無駄なモノつける必要はない」という
持論が変わらずあったのだ!
だから、2輪部門で唯一残ったRC01Eという空冷エンジンで、
水冷化していく他のバイクメーカーにケンカがしたかったのだ!
オヤジさんは、2輪部門にわずかに残った研究所の全員を集めて宣言した。
「この空冷での挑戦は、マン島に参加宣言したとき以上に大変だ・・・、
 だが、俺っちは、絶対あきらめない・・・ホンダは常に世界最高を目指す!」
朝霞研究所の2輪部門開発者達は、オヤジさんの熱い言葉に打たれながら、
目の前のCB750Fという1台のオートバイをじっと見つめていた・・・。

つづく・・・。